誰かの幸せを願うということ
こんばんは、こっしーです。
今日は、タイトルにある「誰かの幸せを願うということ」について話をしていこうと思います。
なぜこの話をしようと思ったかというと、今年の4月に妹が結婚したからです。それまでに色々とあったのですが、自分の中の気持ちを整理するために、この記事を書いています。
まず、妹の結婚に至るまでには本当に色々なことがありました。ただ、今回はそのエピソード自体を書きたいわけではないので、詳細はすべて割愛しますね。
じゃあ、何を書きたいのかというと、「自分は本当に、ずっと妹に幸せになってほしかったんだ」ということです。
今までの経緯も、大変な時期があったことも知っています。
その中で、自分には何もできないという無力感に苛まれたり、「何かできることはないか」と模索したりしてきました。自分が少ないながらもやってきたことすべてが、妹の結婚によって報われた――。今、そんな風に感じています。
両家の顔合わせの時や、妹から「結婚したよ」と連絡をもらった時、本当に嬉しかったのを覚えています。また、ふとした瞬間に妹と旦那さんが笑顔で話しているのを見て、泣きそうになったこともありました。今でも1人でいる時にふと2人のことを考えると、涙が込み上げてくることがあります。
これはすべて、妹夫婦の幸せを何年も心から願っていたからこその感情だと思うわけです。
ただ、それとは別に、自分の中に少し葛藤もあります。「この気持ちは自分の中にそっと仕舞っておきたい」という思いと、「誰かに話したい」という思いの両方があるのです。
なぜそんなことを考えてしまうのか。それは、「妹夫婦の幸せを一番願っていたのは自分だ」という自負があるからです。もちろん異論は認めますが(笑)、それでもそう言い切れるくらい、2人の幸せを願っていました。
実際にそのためにやれたことは、本当に数少ないことでした。最終的には2人が頑張ったからこその結果だとも思っています。
「誰かに話してどうするんだ、2人が幸せならそれでいいじゃないか」と思う自分もいます。
でも、この思いを2人に伝えて、「ありがとう」って言ってもらえたら嬉しいな、と思ってしまう自分もいます。
もしかしたら、読者の中には後者の感情を「ちょっと重いな」とか「見返りを求めているみたい」と思う方もいるかもしれません。でも、人間らしくていいじゃないか、と私は思っています。色んな矛盾を抱えて生きている、今日この頃です。
ただ、ひとつ勘違いしないでほしいのは、私の願いはもう叶っているということです。だから、ここから先の悩みは、ある意味「贅沢な悩み」なんですよね。どちらに転んでも願いが叶っている私は、今とても幸せです。だから、どちらでもいい、とも思っています。
あと、話が少し変わりますが、誰かの幸せを本気で願った結果、面白い変化がありました。他の人の幸せな姿を見ると、自分も幸せな気分になれるようになり、さらに「他の人の幸せも願える」ようになってきたのです。
これは、自分の中でとても嬉しい変化でした。
ただ、その一方で新たな悩みも生まれました。周りの幸せを願い続けた結果、「自分の幸せに対して、少し無頓着になっているのではないか?」と感じることがあるのです。
どういうことかというと、他人の幸せを見て自分も幸せを感じられるなら、私は常に幸せな状態にいることになります。でも、他人の幸せはどこまでいっても「他人のもの」です。その幸せが、直接自分に微笑みかけてくれるわけではありません。
別にその人に「自分を特別扱いしてほしい」わけではないのですが、心のどこかで「自分とそういう関係(深く結びついた関係)になれるパートナーが欲しい」という願望も確かにあります。それなのに、他人の幸せで満足してしまっている自分もいるわけです。
自分の幸せに真摯に向き合い、どんな幸せを望んでいるかを知ることは重要です。そのために努力もしていきたいと思うのに、それとは別に「他人の幸せでお腹いっぱい」になっている自分がいる。ここは、今後の自分にとって少しネックになるかもしれないな、と個人的に思ったりします。
めんどくさいけれど、とても人間臭い。 そんな自分を、もっと自分で愛していけたらいいな。
今日のブログは、そんな私の独り言でした。
以上、こっしーでした。


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